東京高等裁判所 平成2年(ネ)1178号 判決 1992年2月27日
平成二年(ネ)第一一三三号事件控訴人・同年(ネ)一一七八号事件被控訴人(以下「第一審原告」という。)
丸岡文乗
右訴訟代理人弁護士
小見山繁
河合怜
川村幸信
山野一郎
小坂嘉幸
弥吉弥
江藤鉄兵
加藤洪太郎
富田政義
華学昭博
片井輝夫
伊達健太郎
仲田哲
竹之内明
平成二年(ネ)第一一三三号事件被控訴人・同年(ネ)第一一七八号事件控訴人(以下「第一審被告」という。)
涌化寺
右代表者代表役員
阿部美道
右訴訟代理人弁護士
宮川種一郎
松本保三
千葉隆一
吉田麻臣
小林良夫
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は各自の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 第一審原告
1 平成二年(ネ)第一一三三号事件について
(一) 原判決中、甲事件につき第一審原告の訴えを却下した部分を取り消す。
(二) 右甲事件を千葉地方裁判所に差し戻す。
2 平成二年(ネ)第一一七八号事件について
(一) 第一審被告の控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は第一審被告の負担とする。
二 第一審被告
1 平成二年(ネ)第一一三三号事件について
(一) 第一審原告の控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は第一審原告の負担とする。
2 平成二年(ネ)第一一七八号事件について
(一) 原判決中、乙事件につき第一審被告の訴えを却下した部分を取り消す。
(二) 右乙事件を千葉地方裁判所に差し戻す。
第二 当事者の主張及び証拠関係
当事者の主張は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであり(ただし、原判決二二枚目裏六行目の「訓愉」を「訓論」に改める。)、証拠関係は、<省略>
一 第一審原告
日蓮正宗が第一審原告に対して行った本件懲戒処分は宗教上の教義、信仰に関する事項にかかわるものであり、その効力の有無について裁判所は審判権を有しない。このような裁判所の審判権の及ばない事項を内容とする主張は、訴訟上は無意味な陳述として扱われるべきである。
したがって、第一審被告の本件懲戒処分の主張は、主張自体が失当とされる結果、第一審原告の地位確認請求は認容されなければならないし、また、第一審被告の建物明渡請求が認容されるべきでないことは当然である。
二 第一審被告
宗教団体は、団体内部の規律や組織活動の問題等広い範囲において自律権を有するのであり、右自律権行使の結果については、その内容が明らかに公序良俗に反するなど特別の場合でない限り、国家がこれを尊重することが憲法二一条、二〇条及び宗教法人法の要請である。したがって、本件懲戒処分についても、裁判所は、日蓮正宗の自律権行使の結果を尊重し、これが有効になされたことを前提に判断すべきである。
懲戒事由が教義に関連する場合には懲戒処分の効力について裁判所が審判権を有しないとすることは、統制違反によって宗教団体から処分を受けた者は教義上の理由を持ち出して処分の不当を争うだけで司法による追及を免れることになり、その不合理性、不当性は明白である。
理由
一原判決記載の甲乙事件の各請求原因事実、第一審原告に対して本件懲戒処分が行われた事実及び日蓮正宗の宗制、宗規の内容については、当事者間に争いがない。
右争いがない事実に、本件証拠(<書証番号略>、原審における第一審原告本人の供述)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件懲戒処分が行われるに至った経過及び右処分をめぐる紛争の状況は、おおむね次のとおりであることが認められる。
1 日蓮正宗は、昭和二七年一二月、宗教法人法に基づき設立された包括宗教法人である。
日蓮正宗には、三人の責任役員を置き、そのうち一人を代表役員とし(宗制五条)、代表役員は、宗規による管長の職にある者をもって充てる(同六条一項)。管長は日蓮正宗の法規で定めるところによって、一宗を総理し(宗規一三条一項)、法主の職にある者をもって充てる(同条二項)。
法主は、「宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授与する。」(宗規一四条一項)。法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができ、緊急やむを得ない場合には、大僧都のうちから選定することもでき(同条二項)、法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、二項に準じて次期法主を選任する(同条三項)。退職した法主は、前法主と称し、血脈の不断に備える(同条五項)。日蓮正宗においては、教義上、宗祖日蓮聖人以来の血脈相承により宗祖の仏法を承継した者が法主になるが、右血脈相承は、これを授ける者と受ける者とのみが立ち会い口授される秘伝、秘儀とされている。
2 創価学会は、日蓮聖人の仏法を信奉し実践する日蓮正宗の信徒団体で、昭和二七年九月、宗教法人法に基づく宗教法人となったものであり、昭和三五年五月に池田大作が三代会長に就任してから会員数が飛躍的に増大し(会員世帯数は約七五〇万世帯に及んだ。)、日蓮正宗の信者のうち九割以上が学会員であるといわれるようになった。
3 昭和五二年ころになって、創価学会が日蓮正宗の教義から逸脱し、宗門を軽視し、僧侶を無視しているとの批判が日蓮正宗の若手僧侶を中心に行われるようになった。右のような創価学会に対する批判活動は「正信覚醒運動」と呼ばれ、右運動に携わる僧侶は活動家僧侶と言われたが、第一審原告はその一人である。
正信覚醒運動に携わる僧侶らは、全国の僧侶や創価学会を脱会した日蓮正宗の信者(檀信徒と呼ばれた。)に呼びかけ、昭和五三年八月二六、二七日の両日にわたり総本山大石寺において第一回全国檀徒大会を管長日達の出席のもとに開催した。僧侶約一八〇名、檀徒約六二〇〇名が集まり、創価学会批判を行った。続いて昭和五四年一月二七、二八日、同年八月二五、二六日及び昭和五五年一月二六、二七日に第二回から第四回の全国檀徒大会が総本山大石寺において開かれ、創価学会の批判等が行われた。
4 創価学会は、日蓮正宗からの教義の逸脱等に関する公開質問状に対して、昭和五三年六月三〇日付け「教学の基本問題について」と題する回答を発表し、同年一一月七日には幹部が大石寺に参集して日達上人に面会したほか、昭和五四年四月二四日には池田会長が創価学会の会長職を辞し、日蓮正宗の檀信徒の代表たる法華講総講頭の職も辞した。
5 昭和五四年四月七日管長日達を継いだ日顕上人は、創価学会側の右4の対応をもって、創価学会は過去の教義逸脱等を反省していると理解し、創価学会との協調いわゆる僧俗和合協調の方針を採るべきであると考えた。しかし、正信覚醒運動を進めてきた僧侶らは、創価学会の反省は不十分であり、創価学会批判を続けてその組織改革等を行わせる必要があるとし、日顕上人及びその指示を受ける宗務院と対立するようになった。
そして、第一審原告ら十数名の僧侶は、昭和五五年夏にも第五回全国檀徒大会を開催しようとしたが、総本山大石寺で右大会を開催する許可が日顕上人から得られなかったので、東京都千代田区所在の日本武道館において同年八月二五日に第五回全国檀徒大会の開催を計画した。
6 右計画を知った宗務院は、右大会主催者に対し、昭和五五年七月三一日付け院達をもって、右大会において日顕上人の指南を全面的に遵守し、創価学会に対する誹謗中傷的言辞を一切行わないこと、これができない場合には大会を中止することを命じ、同年八月一一日付け院達をもって、開催予定の檀徒大会はその内容趣旨が日顕上人の指南に違背するものと認め、右大会を全面的に中止することを命じるとともに、この命令に違反した場合は相当の処置をとる旨警告し、同月一九日付け院達をもって、右大会の開催は僧俗和合の道を破壊し、いたずらに宗内秩序を乱すことになるので、重ねて檀徒大会の開催を全面的に中止するよう厳命した。
しかし、第一審原告を含む十数名の僧侶は、予定どおり昭和五五年八月二四日に日本武道館において第五回全国檀徒大会を開催した。右大会には、僧侶約一八七名、檀徒約一万三〇〇〇名足らずが集まり、正信覚醒運動の今後の活動方針及び創価学会に対する改革案の提示等創価学会批判が行われた。
7 日蓮正宗の責任役員会は、昭和五五年九月二四日、第一審原告を含めた五名の僧侶の罷免処分を含めた僧侶二〇一名(これは、日蓮正宗の僧侶約六四〇名の約三分の一弱に達する。)に対する懲戒処分を決定した。
第一審原告に対しては、管長日顕名義の昭和五五年九月二四日付け宣告書をもって、本件中止命令に正当な理由なくして従わず、同年八月二四日に日本武道館において開催された全国檀徒大会を主催しかつ積極的に同大会を運営したことを理由に宗規二四八条二号により涌化寺住職を罷免する旨伝えた。
8 管長日顕及び宗務院と正信覚醒運動を続ける僧侶との対立、紛争は、その後も継続した。
第一審原告ら日蓮正宗の僧侶約一八〇名は、昭和五六年一月、静岡地方裁判所に対し、日蓮正宗及び日顕を被告として日顕が日蓮正宗の代表役員等の地位を有しないことの確認を求める訴えを提起し、これに対し、日顕は、管長として、右訴訟を首謀した僧侶らに対する擯斥処分を行った。
また、本件と同様な、日蓮正宗の被包括宗教法人が罷免処分を受けた住職に対し境内の建物の明渡しを求め、他方、右住職らが各宗教法人を被告として代表役員等の地位を有することの確認を求める訴訟が全国の裁判所に多数係属している。
二1 本件において、第一審原告は、日蓮正宗が第一審原告に対してした本件懲戒処分が無効であるとして、第一審原告が第一審被告の代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求め、他方、第一審被告は、日蓮正宗が第一審原告を本件懲戒処分に付したことに伴い、第一審原告が涌化寺の住職たる地位、ひいては第一審被告の代表役員及び責任役員たる地位を失い、第一審被告所有の本件建物の占有権原を喪失したとして、本件建物の所有権に基づきその明渡しを求めている。
したがって、本件訴訟は、宗教法人上の地位の確認や建物の明渡しという当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係に関する訴訟ではあるが、本件懲戒処分の効力が各請求の当否を決する前提問題となっており、その効力の有無が当事者間の紛争の本質的争点をなすとともに、その効力についての判断が本件訴訟の帰趨を左右するものであるところ、本件懲戒処分について主張されている無効事由の中核が管長日顕の懲戒権限の存否と第一審原告に対する懲戒事由の存否にあることは、当事者の主張上明らかである。
2 ところで、管長日顕が懲戒権限を有するか否かは、宗規上、日顕が正当に法主に選任されたか否かにかかるが、第一審被告の主張及び前記一で認定した事実によれば、右の点を決するには、日顕が第六六世法主日達上人から血脈相承を受けることにより第六七世法主に選定されたか否かについて認定判断することが必要不可欠であり、右血脈相承の解釈、その有無の認定は日蓮正宗の教義、信仰に深くかかわる問題であると認められる。
また、第一審原告に対する懲戒事由の存否は、本件中止命令に正当な理由なくして従わなかったか否かにあるが、正当な理由の有無は、前記一で認定した事実及び弁論の全趣旨に照らせば、日蓮正宗として最大の信徒団体である創価学会に対してどのような態度、方針をとるべきか、すなわち僧俗和合協調によるべきか、正信覚醒運動によるべきか、そのいずれが日蓮正宗の正統の立場であるかという日蓮正宗の教義及び活動の基本問題と密接不可欠の関係にあり、この判断は、事柄の性質上、経済的又は市民的社会事象とは異質なものであると認められる。
3 右のとおり、本件懲戒処分の効力の有無は、日蓮正宗の教義・信仰の内容に深くかかわるものであるが、憲法二〇条、宗教法人法一条二項、八五条の規定の趣旨に照らせば、宗教団体における宗教上の教義、信仰に関する事項については、裁判所は、その自由に介入すべきではなく、審判権を有しないと解すべきである。したがって、本件懲戒処分について、宗教上の教義、信仰に関する事項にかかわりのない手続上の準則の違反があるとか、あるいは宗教団体の特質を考慮しても法的正義の観念上その効力を是認することができないような特別の事情がある場合は格別、そうでない限り、裁判所は、本件懲戒処分の効力の有無を審理判断することができないものであり、その結果、右効力の有無を本質的争点とする本件の地位確認及び建物明渡の各請求について審理判断することもできなくなるものといわなければならない。
この点に関し、第一審原告は、本件懲戒処分がなかったと同様にみて請求について実体判断をすべきであると主張し、他方、第一審被告は、本件懲戒処分が有効に行われたものとして請求について実体判断をすべきであると主張する。しかし、右に述べた裁判所の審判権の制限は、宗教上の教義、信仰に関する事項にかかわる紛議について裁判所が厳に中立を保つべき法律上の要請に由来するものであり、先に認定したような宗派内における宗教上の路線の対立抗争という実質を持つ本件の紛議について、その核心をなす本件懲戒処分の効力の有無をいずれかに前提し、それに基づいて当事者の請求の実体的当否を判定することは、結局において右中立性保持の要請に沿う所以ではないというべきである(なお、裁判所の審判権との関係において、非世俗的で専ら個人の内心の問題にかかわる信教の自由の保障と原則として多数決原理の支配する政党等の結社の自由の保障とは必ずしも同列に論じ得ない面があると解される。)。
三そこで、右審判権の制限に対する前記の例外事由があるか否かについて検討する。
1 まず、第一審原告の主張する本件懲戒処分の手続上の準則違反の有無についてみる。
(一) 弁疏の機会が与えられなかったとの点
日蓮正宗の宗制、宗規上、懲戒処分を受ける僧侶に弁疏の機会を与えるべきことを定めた規定は見当たらないし、右機会を与えることが確定した慣行になっていたと認めるに足りる証拠はない。懲戒処分をどのような手続で行うかは原則として当該宗教団体の自治に委ねてよい事柄であり、弁疏の機会を与えなかったことにより直ちに懲戒処分が無効になると解することはできない。
(二) 参議会の決議違反の点
第一審原告の主張からも明らかなとおり、参議会は諮問機関であり(宗制二九条一項)、宗制、宗規の関係規定をみても、その諮問が懲戒処分の効力要件であるとは認められない。
(三) 監正会の裁決違反の点
宗制三二条、宗規三五条、一三〇条、二五五条等の関係規定によると、監正会は、宗務の執行又は懲戒処分に対する事後的審査機関として設けられているものであり、懲戒処分前にあらかじめ懲戒処分をしてはならない旨の裁決をすることは、監正会の職務権限外の行為であると認められる。したがって、本件において第一次監正会がした懲戒処分禁止の第一次裁決は、その効力を有しないというほかない。
また、第二次監正会が本件懲戒処分を無効とする第二次裁決をしたことは当事者間に争いがない。しかし、<書証番号略>によると、第二次監正会の構成員五名のうち岩瀬正山、鈴木譲信及び藤川法融の三名に対しては、第二次裁決前である昭和五五年九月二四日付けで管長から停権あるいは降級の懲戒処分がされており、これにより右三名の全部又は一部が監正員の資格を喪失していたと認められるので、第二次裁決は、宗規二九条の定める開会の要件を欠いた監正会の決議であって、効力がないといわざるを得ない。
以上のとおり手続上の準則違反の主張は認められない。
2 次に、本件懲戒処分について法的正義の観念上その効力を是認できない特別の事情があるか否かを検討する。
この点に関し、第一審原告は、本件中止命令が憲法二一条及び民法九〇条に違反するものであったから、本件懲戒処分も無効である旨主張するが、憲法の人権規定が私人相互間の関係に当然適用ないし類推適用されるものでないことはともかくとしても、宗教団体の自治的運営の見地と前記認定の本件中止命令発令までの経緯等に照らすと、右中止命令が表現の自由を奪い公序良俗に違反するものであるとは認められない。そして、他に本件懲戒処分につき右の特別の事情があることを認めるに足りる証拠はない。
四してみると、本件訴訟は、その実質において法令の適用により終局的に解決することができないものであり、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」に該当しないというべきである。本件訴訟の各請求について実体的司法判断が示されないことになると、本件建物の占有あるいは涌化寺での信仰生活をめぐる紛争、混乱は法律上未解決のまま残ることになるが、これは日蓮正宗の内部において自主的に解決されるべき問題であり、裁判所の法令の適用によって終局的解決をはかることはふさわしくないといわざるを得ない。
五以上のとおり、本件の第一審原告及び第一審被告の各訴えはいずれも不適法として却下すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件各控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官小林正明)